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福沢祐巳の日記

志摩子さんと再会した日の祐巳の祈り


 神様。私の神学理解が、あなたに対する認識が進めば進むほど、私の心は頑なになっていっているように思います。どうしても、あなたの道から逸脱しようとする人たちに、厳しいことを思い、また言ってしまいます。というのも、神様、あなたはすべての人たちを愛しているのに、この世には地獄に行く人間がいて、神様はそれをすごく悲しまれていて、そして私はだから、地獄に行かんとする人間たちを、必死になって食い止めなければならないと、そう思ってしまうのです。
 でも、その説得は時に逆効果であり、時に単なる優しい慰めの言葉があなたの道を示すのに最善かもしれないのです。しかしその慰めの言葉が、あなたの道に立ち返らせるに十分でなかったら、その人はあなたから立ち去ってしまいます。
 主よ、まさしく私たちには祈りしか赦されていないのでしょうか。私たちは本当に無力なのでしょうか。それでも、あなたの道を指し示すのが私たち先に救われし人間の、使命であり役割なのだと私は思います。
 伝道というものは、すべて、その伝道の対象者にあった方法でなすべきだと思います。大衆伝道といっても、罪とその赦しという繊細な問題ですから、私たちは、大衆のなかのひとりひとりに話しかけなければならないのです。だから、そのために、祈らなければなりません。
 日本の、世界の、苦しむ人たちがあなたによって救われることを、そして特定の、隣人であるあの人が救われることを……そのために私のなすべき最善の手段を、主よ、どうか教えてください。あなたにできないことは一切なく、あなたは全知全能であり、あなたの御手はすべての可能性をなしえます。
 あなたの御名が褒め称えられますように、イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
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