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幕間――小笠原祥子の苦悩

--対談の日の小笠原祥子の日記



 死ぬための保障は人間全てにあり、私たちは死に向かって動悸を激しくしている。あなたの手を見よ、あなたの顔を見よ、あなた自身を見よ、あなたはもうすぐ身体から脱却するにも関わらず、なぜその瞬間の生命とその瞬間の健常にこだわるのか。
 脱却せよ、みずから脱却せよ。瞬間の生命と死に至るまでの日々から脱却せよ。自己自身はどこに位置しているのか、自己自身は生命によっては存在せず、ただ精神によってのみ存在する。指を一寸ごとに切りつくし、自己を分解せよ……肋骨から心臓を取り出し、頭蓋から脳を抉り出し、自己が精神であることを証明しなさい……主よ!
 永遠のいのちとは精神と精神を支えるこの世なり。


 ――生命というものに未練のない人間にとって、信仰とはどう受け止めるべきものなのでしょう。生きる意味のほかに信仰は、私に何を与えてくれるのかしら……。
 主よ、けれど……なるほど、確かに一度死ぬというのは、そういうことだったのですね……。洗礼による第二の生における意味ならば、確かに私もあなたの「生きよ」という御旨を実行できます。この肉と身と血に絶望しないクリスチャンほど神から離れたクリスチャンはいないのではないかしら…。
 一度人間は死ぬべきで、死んで眼から光を剥奪して、自分自身の姿を暗闇のなかで発見すべきね……空間や時間や認識に左右されない自己と他者と生命と神を……存在そのものの奇跡を。

 ユミ、はあ、ごめんなさいね……ユミ、私もまた認識するという過ちを犯してしまっている。認識したときに評価がはじまり分析がはじまり批評がはじまる……はあ、ユミ。
 自分の内臓のなかに頭を突っ込みたいわ! 明日謝ろう…
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